みなさま、こんにちは♡
彼との関係を劇的に変える
恋愛カウンセラーの彩ayaです。
ご無沙汰しておりましたm(__)m
1週間ほど、SNSやブログをお休みしました。
予定していたカウンセリングやグループワークも、延期させていただきました。
というのも…
大好きで大切だった、私の祖母が急にこの世を去ったから。
とっても辛かったから、
もっと自分にお休みが必要になるのかもと、実は思っていたんです。
でも私、このカウンセラー業で自分が救われて、エネルギーが満ちていくんだなとわかりました!
だから今日は、亡くなった祖母に感謝を込めて書きます。
祖母とふたり、最後のデート
祖母が亡くなる3週間前。
私は、祖母のリクエストに応えるべく、祖母を助手席に乗せ、祖母の故郷である糸島へ向かいました。
高速で片道50分ほど、半日かけた、祖母とふたりのドライブデート。
祖母の実家に着くと、ご仏壇に手を合わせ、
祖母にとっての甥っ子さん達と、他愛もない話で談笑。
ひと通り話終えたら、近くの食事処へ。
祖母とふたり、お蕎麦を食べる。
少し前に比べたら、食べる量は減っていたけれど…
でも、87歳だし。
足は弱っていたけれど、毎日近所のお友達とお散歩もして
熱中症が怖いからやめろと言われても、草むしりが好きでよくやってた祖母。
故郷に連れていくのも、私にとっては不思議なことではなくて。
年に1度くらいは連れて行ってたかなぁ。
だからその時も、それまでとそう変わりのない祖母の姿を見ていました。
ただひとつ違ったこと、印象深かったことと言えば・・・
私が、お蕎麦を食べ終えた時に聞いたんです。
「ばあちゃん、せっかく里にきたんやけん、他に行きたい場所あったら連れてくよ」と。
最初はいつものように、
「あんたがくたびれるやろうけん、よか」
「くたびれんごと、はよ帰ったがよかろうもん」
と言っていたばあちゃん。
でも、ばあちゃんが早く帰りたいのかと聞いても、そういうわけではないと言うし、
どこか名残惜しそうな雰囲気もある。
そう、ばあちゃんはいつも、他の誰かを優先して生きてきた人。
献身的で愛情深くて、我慢強くて、自分の本音をなかなか話さない人。
「私は大丈夫よ、ばあちゃんに合わせるけん」って何度も言ったら、
「そんなら、大原に行ってみたか」とポツリ。
故郷の糸島からほんの少し離れた、大原という土地に住む、
祖母のお姉さんにダメ元で会いに行きたいんだって。
同居するご家族は働いてもいるし、デイサービスに通っている日もあるお姉さん。
会えるかはわからなかった。
簡単に取り合える連絡手段もなく、
自分らでは会いに行けないから、もう5年は会えていないままだったらしい。
とりあえず行ってみよう!と、20分程車を走らせてみた。
お姉さんのお家。
インターフォンを鳴らしても誰も出てこない。
でもばあちゃん、
「しっこまりたか!」と言って(←おしっこしたい!の意)
施錠されていなかった玄関から、勝手にお邪魔する。笑
入ってみたら、テレビを見ている甥っ子さんの姿あり。
ばあちゃんは甥っ子さんに軽く挨拶をして、トイレへ。
(この展開で、甥っ子さんもばあちゃんも、さして驚かないのはなぜなのか?笑)
トイレから出てきたばあちゃん、奥の部屋で寝ているお姉さんの元へ。
お姉さんはばあちゃんよりも10歳年上。寝たきりになっていた。
ばあちゃん、お姉さんの身体を揺らして声をかける。
ぱちっとお姉さんの目が開いた。
物凄く驚いた表情で、
「…あんた、○○(祖母の名)?元気にしとったとね」とお姉さん。
あとから聞いたけど、お姉さん、人のことをもう認識できなくなっていたらしい。
でも、5年以上ぶりに会ったばあちゃんのこと、はっきりわかってた。
ダメ元で来てよかった、とホッとしていたら。
?
ばあちゃんが、泣いている。
肩を震わせて、うつむいて、泣きじゃくっていた。
ばあちゃんが泣く姿は見たことがあったけれど、
堪えきれないようにこみ上げる涙を流すのは初めて見た。
「生きとううちに、もう会えんかと思いよった」と言う。
そのばあちゃんの姿にもらい泣きをしながら、ばあちゃんの背中をさすった。
ばあちゃんの背中をさすったのって、いつぶりかなぁ、もしかしたら初めてかもしれないって思いながら。
それから、お姉さんとばあちゃんのツーショットを写真におさめ、地元に戻りました。
家に帰る前に寄ったスーパーでは、
「これ、○○ちゃん(私の息子)が好きやろうね」と、塩ポップコーンを買ってくれたばあちゃん。
いつも誰かの喜ぶ食べ物を買っては配っていた、優しい人。
これが、私がばあちゃんと最後に会った日の出来事。
ばあちゃんとふたり、半日のドライブデートをした日が、最後の思い出になりました。
塩ポップコーンは食べずに取ってある。
一生食べないかもしれん。
塩ポップコーンと息子。
亡くなったひいばぁばを感じたいと持ち出していた。驚き。
祖母と私の仲
私にとって、祖母を失うことは、おそらく一般的なソレとはだいぶ違っているのだと思います。
私は大学で実家を離れるまで、祖父母の住む家の隣で暮らしていました。
幼少期は毎日一緒に夜ご飯も食べていて。
(祖父があまりに怒りんぼな人だったから、途中から別で食べることになった)
小学校低学年くらいまでかなぁ…
私、ばあちゃんに育ててもらったと言っても過言ではないんです。
それ以降は専業主婦だった母ですが、父の会社を手伝うなど、仕事で忙しくしていたから、ばあちゃんがよく面倒を見ててくれたんですよね。
母が専業主婦になってからも、ばあちゃんちでしょっちゅう過ごしていたし。
両親に怒られた時の避難先は、決まってばあちゃんち。
いつも、何も言わずに傍に座ってくれていた、そんなばあちゃん。
私が、おじいちゃんおばあちゃんという生き物そのものを好きになって、
福祉の道に進むことにしたのは、間違いなく祖父母の存在が影響していました。
小学校高学年の頃、配られたチラシを見て、これに参加したい!と親に頼んだのは、
高齢者施設のお泊り介助体験でした。
大学では社会福祉を専攻して。
認知症の方が集う高齢者施設で、アルバイト。
福祉枠の公務員に受かった時には、就職祝いで、なんと祖父母が新車を買ってくれました。
お礼も兼ねつつ、なんと言ってもふたりのことが大好きだから、
祖父母を連れて、よくドライブや旅行にいっていました。
✧*。
22歳。新卒入庁して1年も経たないうちに、私は結婚を決めました。
だいぶ若い歳ではあるけれど、タイミングがあって。
祖父母の姓を継ぐつもりでの結婚でした。
大学1年から付き合っていた彼(元夫)は、
実家は別の場所にも関わらず、
縁もゆかりもなかった、私の就職先や地元に近い場所に就職したんですよね。
(私は別にお願いもしていなかったけど、元夫が自分で選んだ。愛されていたのだろう。笑)
この彼なら、私と一緒に継いでくれる器のある人だと、思われたこともあったとは思う。
娘しか産めなかった祖父母。
末っ子の母は、姉たちが次々と嫁いだことで、実家を背負い、とても縛りを感じて生きていたみたい。
本当は、母は婿養子をもらうことを望まれていた人。
でも、父と出会って。
父は若くして両親を亡くしていた人だったから、姓は継げないにしても、一緒に実家を背負ってくれるということで、結婚できたらしい。
いまの時代、男の子が生まれなかったからって、後継ぎが~とかって珍しいように思うんですけどね。
私の地元って、だーいぶ、古風な文化が残っているんです。
誰が姓を継ぐのか?跡取りは?
地域の人たちからもたまに話題にあがってしまうし、私たち家族としても、意識せざるをえない問題だったんですね。
で、私の家族構成というと。
父・母・私・弟・弟の5人家族。
男がふたり生まれているならば、そのどちらかが、祖父母の姓を継げる…?
そんな空気がうっすら漂うなかで暮らしていました。
でもね、私の弟ふたり、優秀なんですよ。
(突然のブラコン発言!)
弟たちには、自由に、自分の住みたい世界で、活躍してほしいじゃないですか。
男だからって、縛られてほしくない。
そんな想いもあるなか、私は地元付近で公務員を選び、彼氏(元夫)も近辺で就職した。
彼(元夫)に頼んで、祖父母の姓を継ぐことに決めました。
古風な文化が根強い地域からの目、姓を継ぐということの意味…
祖父母の老後や、しきたりを背負う覚悟を、あの時の私は決めたんですよね。
弟たちを自由にしたかったこともあるし。
実家に縛られてきた母のこともそう。
後継ぎの心配をし続けねばならない祖父母のことも。
みんなのことを、楽にしてあげたかった。
背負う人生を選ぶ
いかにも武闘派女子な私のエピソード(^_^;)
でもほんとに、
特に祖母のことは大好きで、育ててくれたと思っていたし、恩返ししたかったんですよね^^
ま、結果、継がなくてよくなったんですけど。。。
親族で色々くい違いがあって、継がないことになりました。
あの時はくい違いがしんどかったけど、
でも継いでいたら離婚は決めなかったし、公務員は続けなきゃと辞めずに耐えただろうし、
そうなると、私も元夫もいまの自由はなかったんだなぁとゾッとします。
と、ちょっと話がそれましたが、
祖父母は、私が姓を継ごうとするほどの想いを持った人たち。
コロナが流行るまでは、毎週末祖父母のところに遊びに行っていましたし、旅行にも一緒にたくさん出かけました。
息子が生まれての育休中はもっと通っていて。
20代の女性があんなに頻繁に祖父母のところに通うなんて、めちゃくちゃ珍しいと思う。笑
でも、そのくらい、とにかく大好きだったんです。
大事にしたかった。
私にとって祖母は、育ててくれた人でもあり、もはや親友でもあったのかもしれない。
まさか、一緒に糸島に行った3週間後に、原因不明で急死するなんて。
熱が下がらず入院してから、数日のうちに他界。
親族みんな、検査入院するくらいの感覚で、まさか帰らぬ人になるとは思ってもいませんでした。
最期まで、人に面倒をかけなかった女性でした。
ばあちゃん、すごいわ。
ばあちゃんと幼き頃の息子。
カウンセラー業はお休みしません♡
もう歳でしたから、亡くなることも覚悟はしていたんですよね。
とはいえ、亡くなって5日間は泣いて泣いて、夜も眠れずでした。
でも、6日目の夜に入っていたカウンセリング予約は、受けることにしていたんです。
もしその時になって状態が不安定であれば、
素直に状況をお話して、延期か返金かの対応をさせていただくつもりでした。
そしたら、なんだろう。
今までとはまた違った、もう一種類、たしかなエネルギーが自分に宿ったような気持ちで、カウンセリングをさせていただくことができたんです。
私、やっぱりカウンセラーという仕事が大好きなんだなって思いました。
この状況において、休みたくない、楽しいって感じるなんて。
悲しいは悲しい。まだ涙も出ます。
でも、後悔はない。
ばあちゃんには、たくさんの感謝と、大好きって気持ちを、今までの人生で伝えてこれたと思えているから。
告別式では弟たちと一緒に弔辞も任されて、最期にお礼を言えました。
本当に素晴らしい人でした。
今までも、これからも、大好き。
今後は、残された祖父(軽い介護が必要です)を大事に、愛を伝えて過ごします。
✧*。
ここまで読んでくださったあなたも。
どうか、あなたの声が届くうちに、大好きな人に愛を届けてくださいね。
11月~12月にかけて、久しぶりに、
無料カウンセリングモニター(彩ayaのカウンセリング初めての方。2回目以降の方は超割引価格でのご提供)をやることに決めました。
私自身の経験から、日頃は、
難攻不落な野良猫男子との恋に悩む女性をサポートしています。
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あなたも幸せにつながりますように✧*。
応援しています。
彩aya